犠牲者が出ないと動かないのか

新大栗橋の交差点で小学生が交通事故で亡くなるという痛ましい事故があった。その後、歩車道分離式の信号機を付けてほしいと、市は警察署に申請書を出し、10月頃設置されることとなったようである。

 そのこと自体は安心したことであるが、何とも言えない気持ちは残る。なぜなら、事故が起きる以前から、議会で、危ないところだから分離信号を設置してほしいと、ある議員が提案していたが、渋滞を理由にかなわなかったらしい。しかし、今回、犠牲者が出たことからこんなにも簡単に設置が決まったのだ。つまり、誰かを犠牲にしないと、何も決まらないのかと思うとたまらない。

 そして、今の、国会の、暴走も、誰かが戦場で死ぬまで突っ走るのだろうか?その前に、戦場でなく投票所で止めれたはずなのだ。