改めてインクルーシブ教育を考える
高校生らで作る民間の検討会議が、内申書や高校受験の廃止などを盛り込んだ提言を政策に反映するよう、文科省に求めたとの報道がありました。
先日、多摩市総合福祉センターでご高齢の方と学ぶ機会がありましたが、補聴器をつけてる方が多く、聞こえが不自由な方が少なくありませんでした。でも、聞こえない実状を和気あいあいと交わしていました。
私にも気さくに声をかけて下さり、楽しい時間を過ごしました。
これって普通のこと、ですよね。
一方、子どもたちの学級環境は、理解が難しい子ども、難聴の子ども、足の不自由な子どもが混ざっていることがなぜできないのでしょう。
高齢者の学びや趣味の場には、実に多様性があります。子どもが学ぶ環境も同じであればと思います。
今回、高校生らの政策提言は、内申書や受験のせいで自分の興味関心に時間を注げないといった話も出たようですが、同時に、それらが足かせとなり、多様性を制約しているかもしれません。
既成概念が、インクルーシブ教育を阻んではいないのか、考えさせられました。