母の日に思う〜人権を大切にする社会にするとは
昨日は母の日でした。花屋さんには、日頃の感謝の気持ちを込めてとお花を買う方が並んでいました。
子どものいない人はいても、母のいない人はいません。亡くなられていたり、高齢だったり、いい思い出がなかったり、人それぞれでしょう。母に感謝出来る人もいれば出来ない人も、会いたくてももう会えない人もいます。
他方、親の責任が重すぎて子どもを持てないという声も聞きます。
私たちの社会、或いは法律は親に子どもの責任を負わせ過ぎてると感じます。卒業式で親への感謝を求められたり、成人式、結婚式などでも子どもは「感謝」を告げます。
そうなると、母や父に感謝しなければと思わされたり、感謝されるような立派な親でなければと、プレッシャーや自分を責める人もいるかもしれません。
しかし、子どもも親も完全に別人格。切り離されたひとりの人間ですし対等なパートナーであるはずです。私たちは誰かの親であれ子であれ、もっと自由な気持ちで生きていいのではないでしょうか?母の日や父の日があるなら、自分を大事にする日、大切な私の日、自分の日など作るのはどうでしょう。
まずは自分を母だの父だのの属性から解放出来る、そんなメッセージが今、求められていると感じます。