基本的人権が奪われているという視点
先週末、年明けの地域恒例行事であるどんど焼きに足を運びました。年末の準備の際に担当者の方は「今年は4年ぶりに豚汁、お団子を通常通り振る舞える」と嬉しそうに話していました。誰もが希望と安堵を持って新しい年を迎えられると思ったことでしょう。
しかし新しい年が始まるその日に、私たちはまさかという光景を目の当たりにしました。
被災した能登半島の近況報道は、1次避難から1.5次、2次と少しづつ変化してきたと感じますが、その報道の仕方が気になります。
雪の舞う寒さの中、毎日が不自由な状況だとわかりきっているにも関わらず、お身体は大丈夫ですかと聞き、辛い、大変と言わせる意味は何なのでしょう。ライフラインが開通した、給水車が来た、2次避難先に避難できた、と質問を向けては「ありがとうございます。」と言わせるのは、何を視聴者に伝えようとしているのでしょうか。
被災者は、心情的には有難いと思うかもしれませんが、ライフラインの確保は行政の務めです。報道は、感謝の言葉を求めるばかりでなく、被災者にとっては当然の権利だとしっかり伝えて報道すべきでしょう。
避難所運営を手伝ったり、集団で親元を離れて避難する中学生など、子どもたちもまた、思いもよらない環境の変化を強いられました。ヤングケアラーなどという言葉も消えてしまうくらい、誰もが手伝うのが当たり前だし、自分の意見を述べることがわがままだという環境下にあると思います。
しかし、そんな時、そんな環境だからこそ、保障される基本的人権、特に声をあげにくいであろう子どもの人権を絶えず思い起こし、そのことを子ども含めたみんなが胸に刻む必要があるように思います