誰でもという言葉、考え方

 多様性を尊重する社会や、SDGsに掲げた誰一人取り残さない社会を否定する人はいないでしょう。貧困や孤食を余儀なくされている人たちを幅広く捉れば、子ども食堂から誰でも食堂に名を変えた支援の広がりも当たり前に受け入れられるでしょう。

 この「誰でも」という言い方からは、いろんな人が混ざり合っている場所において、あなたが目立つことはないですよというメッセージ性が見て取れます。残念ながら社会にはまだまだ、普通と違っていることが目立つ、恥ずかしいと思わせる何かがあります。

「誰でもトイレ」も、かつては「車椅子トイレ」と呼んだ時期もありましたが、障がい、高齢、乳幼児連れなど、普通の男女別トイレでは不便、あるいは違和感があると感じる方は、誰でも気にせずどうぞという意味だったと思います。「誰でもトイレ」は、優しい社会の象徴であるのように定着してきました。

 しかし東京都は昨年、「集中から分散へ〜トイレは誰でもからそれぞれへ」として、誰でもトイレを車椅子利用の障がい者と高齢者用にし、介助者を必要とする人は男女共用など、「多様な利用者のニーズに配慮したユニバーサルデザインのトイレづくりハンドブック」を示しました。

 誰でもという方向が、インクルーシブ🟰誰も排除しない社会であると思う一方、現実的にはスペース、利用者のニーズに合わせてトイレの種類を増やす分散の考えは、理想と現実はまだまだかけ離れているということでしょうか。

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